あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
この記事では、自分の1年のまとめを書こうと思います。
お正月などの節目はあまり得意ではなく、どちらかと言うと苦手なのだけど、節目や区切りをきちんと意識することは精神衛生上大事だとどこかで読んだ気がするので、できる限り意識的にやりたいなと思っている。ただ、全ての挨拶の中で、お正月の挨拶が一番苦手である。できるけど、ムズムズする。なんとなく特有のプレッシャーを感じる。たぶんアレルギーのようなものなのだと思う。あけおめアレルギー。なんやねんそりゃって感じだが、アレルギーの類は自分に愛想が尽きそうになるので苦手なのだ。もっとハッピーな人間になりたいものだなと思う。
そんなわけで、この記事も早々に書き始めたは良いものの、途中から筆がなかなか進まず、昨日はもう断念してボツにしようかと考えていたのだけど、今日になってみたらやる気が少し復活したので、お休み最終日の力を振り絞って書き進めることにした。ちゃんと出来上がりますように。ていうか、いつの間にか最終日じゃん。仕事行きたくない………。(大型連休あるある)
今年の目標は、
- 苦手なことや抵抗感のあるものを実際に試してみる。(本当に苦手なのか、苦手ならどれくらい抵抗があるのか、その抵抗は意外と受け入れられるものなのか否か、などをきちんと知りたい)
- 自分の考えやできることなど、上手下手良い悪いをあまり色を付けずに、できる範囲で頑張って人目に晒す。
- つまり、今後の生存のためになりそうなことをいろいろ頑張りたいわけだけど、願わくば動機はシンプルな方が好ましいので、「好き・面白い・楽しい」を忘れないようにする。
です。
あとは、勉強を頑張ったり、友だちをたくさん作ったりしたいです。
ここから先は自分のために自分のことばかり細々と書き連ねるだけなので、もし興味の湧くトピックがあれば、暇つぶしにどうぞ…という感じです。普通に読むと長いです。一応目次から飛べます。
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カヌレと唐揚げ
先月見つけたカヌレと唐揚げのお店に行ってみた。
唐揚げは土日限定らしく手に入らなかったけど、久しぶりに食べたカヌレは美味しかった。
このトピックに限っては1年のまとめは関係ない。ただのカヌレ報告である。
ブログ
スローペースではあるものの、今のところ続けることができている。これでいいのだろうか…と時折不安を感じるものの、ひとまずは上出来ということにしておきたい。ただ、若干の抵抗感はやっぱりある。
まず、ひたすら自分を発信することへの抵抗感だ。ブログというものはそういうものなのだろうが、なかなか烏滸がましい作業のように感じる。他人が書いてるブログを見て「この人烏滸がましいな」なんて思わないから、余計な考えなのだろうが、もやもやはする。何か良い捉え方はないかと、ブログへのポジティブな解釈を考えてみたけど、「私という人間の魅力をふんだんに伝えるための表現物」という解釈を思い付き、余計に烏滸がましく、というより何それマニアック過ぎて怖い…と、却下した。何事もポジティブなものが良いとは限らないのだ。なかなか他に思い浮かばないので、たぶんもっと適当に開き直った方が良いのかもしれない。
もう一つは、残すことへの抵抗感である。大抵、過去の自分ってちょっと気持ち悪く感じるようになるので、基本的にはあまり残すことをしたくない。あと、考えが短いスパンで変化するので、過去の言動は大体すぐ窮屈になる。これに関しては、「衝動的な反応や言動ほど嫌になるのではないだろうか?」と、自分なりに仮説を立ててみた。なので、文章を書く際は、できるだけ淡々と書くこと、そしてきちんと削ることを意識するようにしている。
いろいろ考えてはみたけど、最初の投稿(はじめに - 雑記)は、書いて良かったなと思う。「私はこうやって文章を書くのだった」と立ち返ることができる。立ち返ることは人間にとって大事なことのように思うし、それができる文章というのはきっと良い文章のような気がする。
今のところは、あまり無作為に拡散せず、友人や関わりのある人にお知らせするだけに留めている。読んでくれている人には感謝したい。今後どうするかは全然決めてないけど、始めた当初に書こうと思っていたテーマは未だに何一つとして書けてないので、たぶんまだ辞めないと思う。もしよければこれからもどうぞお願いします。
ひとりへの欲求と仕事
昨年はほとんどを自宅で過ごした。仕事柄、在宅勤務が可能な職種なので、ほとんど家で仕事をしていた。在宅勤務は自分にけっこう合ってると思った。職場の余計なことに巻き込まれないし、環境にこだわらなくて済むのが楽だった。ストレスが減ると元気になる。
あと、「ひとり」というのもけっこう合ってると思う。やはりこれが前提だなと思った。「ひとり」のときが一番自分が強く居られる気がするし、頼もしくなる。ただ、完全に一人がいいかと言われると違う気もするし、引きこもりが得意な分知らないうちに煮詰まったりするので、バランスが難しいところである。在宅勤務中も一緒に仕事してる先輩とどうでもいい話をたくさんしてたので、そういうのがないとキツい気がする。
今後のことを考えて、パソコンでできることを増やそうと、11月くらいからパソコンの勉強を新しく始めた。なかなか忙しくて追いつけてないけど、コツコツ進めていきたい。
転職などのリスクを負わずに今までと違う働き方を経験できたのは有難いことだった。とはいえ、誰かの生きづらさの上でしか生きやすく生きれないのは悲しいことなので、終息を願っている。
クラリネットのこと
クラリネットという楽器を始めたのは中学生の頃で、一目惚れだった。高校生の頃に、この先もずっとこの楽器と音楽のことを好きであり続けたいと誓った。(10代の頃の話だから表現が少々大袈裟である。)いろんな事情によりブランクはあるけど、なんだかんだで今も続けることができている。もちろん好きだから続けているんだけど、高校生の頃の自分との約束を果たすという意味もあるのかなと時々思う。
この頃はオンラインで東京の先生のレッスンを受けている。対面の方が良いっちゃ良いけど、距離と時間という問題を解決できるのはとても有難い。今月で1年半くらい。どうすれば楽器が良く響くのかを知ってるみたいに、どうすれば生徒の音がのびのびと響くのかちゃんと分かってるんだろうなと感じるレッスンで、お陰様でこの1年はたくさん褒めてもらえた年だった。自分の記録のためにこれまで取り組んだ課題をまとめてみる。
♩アイヒラースケール ぜんぶ
♩エチュード
・ローズ:32のエチュード
・カヴァリーニ:30のカプリス
・ブランク:40のエチュード 第一巻
第二巻(なう)
・ジャンジャン:段階的な旋律練習曲 第一巻(なう)
♩曲
・ブラームス:ソナタ 1番 2番
・サン=サーンス:ソナタ
・ウェーバー:序奏、主題と変奏
・ウェーバー:変奏曲
・ウェーバー:グランドデュオコンチェルタント
・ラボー:ソロドコンサート
・ドビュッシー:第一狂詩曲
・ウェーバー:コンチェルティーノ
・メサジュ:ソロドコンサート(なう)
エチュードはローズ40がどうしても生理的に受け付けなくてひとまず断念してしまってるが、できそうになったらやりたいなと思う。あと、カヴァリーニの25番をやったときにかなり褒めてもらえたのがとても嬉しかった。この先の人生でこれ以上もう褒められることは無いんじゃないかってくらいだった。ああいう曲を褒めらるのはとても嬉しい。
曲もだいぶさらったから、もっと詰めてそのうちピアノと合わせてみたい。クラリネットは晩年の曲が多くて嬉しい。晩年物大好き。
特にブラームスの晩年のソナタは本当に大好きな曲だ。この曲を知ったのは20歳前後のときだったと思うけど、当時「この曲に出会うためにこの楽器と出会ったのかもしれない」くらいに思ってた。(10代の頃の話だから表現が大袈裟)
世の中に流行する恋や愛の曲に疎外感や疲労感を感じがちな私にとっては、こういうふうに生きた人たちの証は心強く感じたし、愛おしさの教科書のように思っている。
というわけで、はじめてやったソロの曲はブラームスのソナタだった。
あと、バスクラも購入から1年半くらい経つ。ローズ32できたら、そのうちカヴァリーニもバリバリやりたい。とてもいい楽器を入手できたのでバリバリやっていきたい。
総括して、自分ひとりでは選ばないような選択をたくさん出来たのが良かった。あと、合宿の参加もとても刺激的だった。音楽が上手下手だけではないのはとてもよく分かってるけど、それを承知の上で、もっと上達したいなと思った。今年も頑張る。
ワインと映画
職場の先輩から「映画観ながらワイン飲むのが大人な贅沢で良かった」との報告を受けたので、私も大人な贅沢を経験するべく、このお正月休みを利用して実行してみた。ストックしていた白黒の古い映画をいくつか観た。気楽で軽快で程よい感じの人々の映画だった。ワインが必要だったかはいまいちよく分からなかった。お酒はひとりで飲むより誰かと飲みたい派なのだと思う。
振り返ると、この1年全く映画やドラマを観ていないことに気付いた。たぶん坂元裕二以外観てない。私は一体何をして過ごしてたんだっていうくらい何も観てないことに驚いている。たぶん本や漫画が多かったように思う。
坂元氏の『花束みたいな恋をした』は観に行った。資本主義の歪みにのまれる若者のリアルという視点では面白かったけど、個人的な視点では全然だめだった。全くフィットしなくて、この人の作品にここまでの疎外感を感じたのは初めてだったので、けっこうショックを受けてしまい、割と落ち込んだ。ゆえに分かったこともあったけど、もう一度は観れない気がする。
漫画や本で面白かったものや影響を受けたものはいろいろあるけど、なんとなく今は人に紹介したくないので、今回は省略。
今年はたくさん観たり読んだりしたい。って毎年思ってるけど、今年も。相変わらずストックは減らない。
手紙と時間
コロナ禍を機にSNSに対してだいぶ後ろ向きになった。以前は「面白い人を見つける」という目的で使用していたけど、あまり使わなくなった。パンデミックとSNSについては歴史的にみても初めてのことだから誰か論文とか書いてそうだが、そう言ったものはともかく、個人的にはSNSというものの限界を見た気がする。なかなかしんどいなと思い、細く長く付き合いのあるフォロワーさんがいるTwitterのアカウントだけ残して、使わないアカウントは削除してしまった。しばらく経ってから、これじゃ推しの情報一個も得られないじゃんということに気付き、推しの作品情報を得るためだけにインスタは作り直したが、素敵な感性だなって思ってた人のアカウントは全く分からなくなってしまった。
そういったものの代わりといってはなんだけど、文通を始めた。始めたのがいつだったのか記憶が曖昧すぎて覚えてないがたぶん去年始めた。ペンネームと仮の住所で文通できるシステムがあることを知り、会費はかかるけど、その分、ちゃんと文通したい人が集まるのではないかと思い、始めてみた。
始めてみて良かった点たくさんあるけど、今思いつくだけで大きく二つある。一つは、「待つこと」は人間にとってとても前向きな姿勢であるが、それがかなり自然にできること。もう一つは、送ると自分の言葉は手元に残らないので、自分の言動に程よく無責任になれるということだ。たぶん自分に合っている。ブログを始めてみようと思ったのも、手紙で文を書くという経験をしたからというのが一つあるように思う。
また、文通を始めたきっかけだが、「時間」について考えたかったからというのもある。音楽をやっていると、音楽的なものって時間や空間に対してすごく自由なんだよな…と感じ、魅せられることが多い。時間という概念はとても奥深く、人間的であり、情緒的なものだ。偉人たちがこぞって取り組んできたのにも関わらず、未だよく分かってないテーマなわけだから、私なんかが到底理解できるものではないけれど、それ含めとても面白い。たぶんしばらく自分にとっての大きなテーマになると思っている。数学や物理学から、発達心理学から、芸術の世界まで。いろんな視点があって飽きない。ということで、最近はミヒャエル・エンデ『モモ』を再読し始めた。
怖がりと本質
今年の目標で、動機はシンプルがいいと書いたけど、それは本質的なものからあまり離れたくないからという理由だ。
例えば、私は学ぶことが好きである。そして、「学んだことは奪われない」というのも真理の一つだとも思っている。ただ、それが一番の目的になってしまうと何のために学ぶのか分からなくなってしまい、慢性的な疲労に繋がると思うようになった。できることなら不安や恐怖を一番の目的にしたくない。本質的なものからどんどん離れてしまうし、そういうときの自分は大抵いいことをしない。そこまで行くと本質的なものから遠ざかることの方が恐怖だなとさえ感じる。本質というのは、直感的にビビッとくるものや、熱のあるところにある。私はなかなかの怖がりだし、そういう自分がこのような社会のシステムの中でそれをやっていくのは、なかなか難しいことではあるように思うけど、できる限りそういうものを信じたいと思うのだ。
褒め言葉にはハグを
この1年はとにかくたくさん褒められる経験をした。クラリネットのレッスンも然り、このブログも文章をけっこういろんな人に褒めて頂いた。私はあまり褒めるのが得意ではないのだけど、実際に褒められてみると、そうか、これくらい直感的でフランクでいいのかと思った。
褒め言葉に関しては、受け取る受け取らない問題というのが生じやすいが、現在の私の考えは、抱き締めにいくスタイルである。
「褒められるためにする」になってしまうと、たぶん自分がいなくなり苦しくなるが、今後自分が伸ばしていけるものは何なのか、何が強みになって、何を武器にしていけるのか、それらを考えるヒントとして受け取るのなら、かなり力になるなと思った。
なので、文章は頑張って書いていこうと思う。そして、できる限り人目に晒そうと思う。それがたぶん一番肥やしになるからだ。
そいうわけで、今年の初めに、やめてしまっていたSNSアカウントをいろいろ作り直してみた。手紙のトピックの時に、SNSのことを酷評してしまったが、便利なものではあるので、使っていこうかなと考えを改めている。ただ、作っては見たけれど結局まだ何もしておらず、このまま放置フラグが立っている。なかなか前途多難。いろいろ未定。気が向いたらやるかも。