雑記

好き勝手言います

言葉、ときどき音楽

このところ筆が乗っている。なので更新が少々多い。もしかすると単に雑念が多いだけなのかもしれないが、純粋に文章を書くことが楽しい。

書いていると、自分の口癖に気付く。読んでいる人はきっと気にも止めないことなのだろうけど、書いている人としては気付く度にちょっと恥ずかしい気持ちになる。特に保身の気持ちから来る言葉は、「その保身は本当に必要?」と自分に問いかけてみて、必要ないものだと気付いた時点で都度削除するようにしている。

自分の考えを言語化するというのはなかなか難しい。最近それをすごく実感している。現代は特に、あちこちにたくさんの思想や思考、言葉が溢れていて、時折それに溺れそうにもなる。ふん。華麗な泳ぎですり抜けてやる。いや、違うか。溺れそうな時は泳ごうとするより、身を任せて呼吸を確保して浮いて待つのが定石だったか。こちらの方が自分らしい。まあ、自分の言葉を持っていられるのならどちらでもよい。

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「これが手だ」と、「手」といふ名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が深く感じられてゐればよい。(中原中也 『芸術論覚え書』より)

中原中也(詩人、1907-1937)の詩は、よく「名辞以前」という言葉と共に語られる。「名辞以前」というのは、言葉になる前の世界のことを指している。中也は、言葉になる直前の想いこそが一番純粋なものであると考え、それをどうすれば詩に落とし込めるのかということを試みた。想いは言葉にしてしまった瞬間、言葉にする前とは違うものになってしまうということを指摘しているわけだ。

私はこの考えに共感していて、言葉は境界線のようなものだと考えている。その境界線の前と後にはそれぞれ別の世界が広がっていて、言葉にするためにはその境界線を越えるために何かしらの労力や努力が必要なのではないだろうか。人は大事なことほど上手に言葉にできなくなるときがあるけど、境界線が故なのかもしれない。(そう考えると、ブログを書くのって公開筋トレしてるみたいだ。ムキムキ。)

私はこういう言葉の不完全さが好きで、言葉が人を表すことはないし、非常にいい加減なものだとも思っている。もし、言葉が人を表すことがあるとするなら、言葉そのものというより、言葉をどのように扱い、どのように扱おうとしているか、という行為の部分にあるのだと思う。

なので、私は、できることなら美しく言葉を使いたい。謙虚な姿勢で、物事を本質的に見つめていたい。あと、人の目には悲しいものが美しく映りやすいけど、悲しみや犠牲に依存せずに美しさを求めるにはどうすればいいのかということも普段からけっこう気にしている。(美しいものにこだわるのではなく、美しく見えるものにこだわり出すと、暴力的になったり破綻したりしてゆく気がしている。別にその全てがダメというわけじゃないけど。)

ただ、こういった労力に気を取られて、何も発することができなくなるのは嫌なので、「大体でいいやめんどくさいし」の精神で、崩したまま発することももちろんよくある。それも言葉の良いところだ。そんなに背伸びしてもしょうがないからね。

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私は音楽をやっているのだけど、音楽は時々言葉を越えることがあると思っている。高校生の頃、ある人に、音楽で他者と対話が出来ることを教えてもらってから、その時間にずっとときめいている。音楽的な対話のことが分かる人に出会えるのは本当に稀なことだが、そういう時間をどこか求めながら音楽を続けている気がする。音楽は私に調和とは一体何なのかということを教えてくれる。音楽には言葉にはない不思議があるように感じるが、それも言葉が不完全なものだからかもしれない。

音楽と言葉の関係は面白い。私は歌はあまり得意ではなくて、楽器ばかりやっているのだけど、楽器をやる人は人の声にどこか憧れを持っているような気がする。それと、音楽は感情を伝えられるけど、歌の場合はそこに歌詞が入るから感情+αのものを伝えられる。歌って卑怯なんだよな。

そういえば、甲本ヒロトさんが今の音楽は歌詞を重視しすぎるという話をしていたのを思い出した。動画から書き起こしてみる。(別にそれを批判しているわけではなく、そう分析されてるだけです。気になる人はリンクから飛んでみてね。)

僕は若い人はみんないいと思う。音楽は何がいいか形とかないですから。結局はやったるでっていう気合いとか。そんなのが一番大事だと思う。そういう意味でやっぱり若い人たちはすごいですから。アナログ世代とデジタル世代の違いで一ヶ所感じるのは、歌詞を聴きすぎ。アナログの頃って僕ら音で全部聴いていた。だから洋楽でもなんだろうが全部かっこよかった。意味なんてどうでもよかった。例えば、ロックンロールは僕を元気にしてくれたけど、元気付けるような歌詞なんか一つもないんだよ。関係ないんだよ、そんなこと。お前に未来はないとか歌ってるんだよ。「No future for you」とか。それ聴いて、よし今日も学校行こうってなる。だから関係ない。でも、デジタルになると、情報として綺麗に入ってきちゃって、歌詞、文字を追いすぎているよう気がちょっとだけする。(- YouTubeより)

なるほどなぁと思った。確かにそれはある。私の場合、言葉で音楽をごまかしたり、音楽で言葉をごまかしたりしてないかを、すごく注目して見てしまうことが時々あるのだけど、そうしてしまうのって最近の音楽が歌詞をとても重視して作られてるからかもしれない。もしかすると、今の人たちは正確にぜんぶちゃんと伝えようとしすぎる傾向があるのかな。

まあ、どこで何が伝わって何が動き出すかなんて、分からないからね。ビビッとくればなんでもOKってことで。面白いこと最高。

今日はブルーハーツ聴こ。では。

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