雑記

好き勝手言います

推しが尊い

初投稿を読んでくださった方、読者登録してくださった方、ありがとうございました。せっかく始めたので、少ない頻度でも出来るだけ長く続けたいなと思う。大事なものは大抵遅れてやってくるものだからね。と言いつつ、気合い入れすぎるとすぐに嫌になりそうだから、目標は小さいところからいく。まずは10投稿…。それくらいは成し遂げたいし、それができれば継続への道に一歩近づける気がする。

好き勝手やることをモットーに始めたけど、自分の言語と自分の考えを書いて表に出すというのはいつだってそれなりにドキドキはする。でもまあ表現なんて大体そんなもんだ。表現するのに気持ちのせめぎ合いは付きものだし、表現の内容だけでなく、そのせめぎ合いをどう解釈し、どのように越えてゆくかということにも個性は宿るのだ。

何年か前に死体をモチーフに描いてる画家の方が、「表現の自由なんてものはそもそもは存在しない。自由な表現があるだけだ。」ということを言っていた。その方の現在の考えまでは追えていないから分からないけど、少なくとも私は今もその考えに同意の気持ちを持っている。これだけで表現の在り方の全てを説明できるわけではないけど、私にとっては一つの軸になっている。日頃から表現について真面目に考えているような人たちにとっては、この世の中はきっと辟易してしまうもので溢れている

大袈裟な話を持ち出してしまったが、このブログに関して言えば、私ひとりが勝手にドキドキしているだけだし、過激な表現をする予定も今は特にない。最低限のマナーとして、他人の住処を荒らしたり、台無しにしたりしないようには気をつけたい。そういうことを考えると、自分の場所に立って自分の言葉を話すことの重要性をすごく思う。断っておくが、過激なものがいけないという話ではない。人が過激になるのは孤立を極めているときだろうが、覚悟や謙虚さを持てるならばそこから面白いものが生まれる可能性がないと言えないし、その可能性を私が否定することはできない。ちなみに、孤独とはまた違う話だ。孤独は個人の尊厳だし、その先にあるのは共感だ。(個人的には前者より後者の方が芸術や個性の本質に近いとは思う)

…ついうっかり、表現論みたいなのを話してしまった。実は本題はここから。予約してたドラマのDVD BOXが届いたので、その話をしようと思う。

今年の4月にやっていた、『大豆田とわ子と三人の元夫』。DVD BOXってそれなりに値段するけど、おかげさまで財布の紐がゆるゆるだ。どうしても特典映像が観たかったので仕方がなかった。しかも、年末年始にゆっくり見ようと思っていたのに、待てずについうっかり観始めてしまい、ついうっかり観終わってしまった。ついうっかり。

ブログ開始早々いきなり読者置き去り回になってしまう…って思ってはみたけれど、タイミングの問題なのでどうしようもできない。つまり、自分のオタク心を発散するだけの回です。置き去りにします。ごめんね。表現なんて知らない。言葉なんて思考のメモでしかない。でも、このまま行く。辻褄なんてものはそのうちどこかで勝手に合う。なので、ここから先を読む人はオタクしてるなぁって感じで眺めていてもらえればと思う。

 

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脚本家の坂元裕二が好きで、この人の作品はほとんど網羅してるけど、そういうの全部含めた上でこの作品は最高だった。これがいわゆる「推しが尊い」っていうやつかって思った。人を救ったり支えたりするものはいろいろあるかもしれないが、「存在」以上に強いものはないんじゃないだろうかとよく思う。存在は確固たる証拠のようなものになる。経済も動かしちゃうし、人を元気にもしちゃう。「推しが尊い」ってすごい。みんながそれぞれの推しを大事にできれば世界平和もきっと遠くない。らぶ&ぴーす。世界が平和になるということは、争いがなくなるということで、争いがなくなるということは、平和を祈ることもなくなる、というところに平和の本質があるってことは忘れたくないけど。

とても良い作品だったので、私なんかが解説まがいのことしてしまうのは非常に勿体ない。秘境感があるし、最高すぎてまとめられない。なので、個人的推しポイントを無理矢理3つに絞ることにした。作品タイトルに則るという、我ながらちょっとダサくて恥ずかしいことをするけど、温かい目でいて欲しい。ネタバレはそんなにしないつもりだけど、配慮もしないので、そういうのがだめな人は一応見ないように。
あらすじや作品内容を知りたい方は公式ホームページへ(https://www.ktv.jp/mameo/)。

 

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⒈いい仕事と想像

脚本ももちろん素晴らしいけど、この作品に関わってる全ての人が本当に素晴らしい。それぞれの場所でそれぞれが本当にいい仕事をしているし、新しいことやおしゃれなことに真っ向から勝負しに行ってるのがかなりグッとくる。配色、音楽、道具、衣装、食べ物…。特にプロデューサーの佐野さんはとてもいい仕事をしていらっしゃる。こういう人と何かできたら人生楽しそうだなと勝手に思ってしまったし、こういう人がのびのび仕事ができるカンテレはたぶんきっといい会社なんじゃないかという憶測が湧く。こういう人にはこれから先ものびのび活躍していて欲しい。

いい仕事がしたい。ただいい仕事がしたいんです。どきどきしたいんです。手に汗を握って、息をするのも忘れるような、そんな瞬間に出会いたい。人生ってきっと、地位や名誉やお金じゃない。人生は、どれだけ心が震えたかで決まると思います。
(『問題のあるレストラン』、田中たま子)

『問題のあるレストラン(2015)』では様々な要因によって全く叶わない願いだったが、現実の世界で当たり前のように叶ってしまっている。起こりがたいことを奇跡と呼ぶけど、奇跡は思ってるよりもそばにあって、けっこう簡単に叶ってしまうんだよなとつくづく思う。

あなたみたいな人がいるってだけでね、「あ、私も社長になれる」って小さい女の子がイメージできるんだよ。いるといないとじゃ大違いなんだよ。それはあなたがやらなきゃいけない仕事なの。
(『大豆田とわ子と三人の元夫』、綿来かごめ)

スクリューボール・コメディをやるというのも今回の挑戦の一つだったらしいが、それも成功してる。一般的に何を成功というのかは知らないけれど、少なくとも私にはそれなりにきちんと響いているので、勝手に成功と呼ぶことにする。観ていて「あの椅子いいな欲しいな」とか思うし、かといって夢を押し売られてるわけでもない。憧れというものは役には立つが、それに頼りすぎると暴力的なものになりかねない。

考えてみると、お金で手に入る幸せも、お金で減らせる不幸も、今までにたくさん書いてきた人だからこそ書ける作品であったかもしれない。幸せに必要そうなものが手の内にあるからといって、それで幸せになれるとは限らない。

坂元さんは以前「テレビという媒体の都合上どうしても登場人物は30代〜40代になってしまうが、いつだって若い世代の人に向けて書いている」とどこかで言っていたが、私にはそれがありがたい。こういう人間がこう生きてたらこういう大人になれるんだなっていうイメージが湧く。それで、そういう大人ならまあ悪くないかと思わせてくれる。これは私にとってはかなり重要事項なわけである。

 
⒉面倒くさい人と幸せ

YouTubeNetflix公式チャンネルに元夫たちの喧嘩集が上がってるんだけど、可愛くてエンドレスで見れる。他の坂元作品にも面倒くさい人はたくさん出てくるけど、この作品に出てくる面倒くさい人は一段と可愛い。というより、どこか面倒くさくて可愛い人しか出てこない。
あ、面倒くさいって案外悪くないな、むしろこんな可愛い大人になれるんだったら面倒くさくあり続けてやろうじゃないかとさえ思えてくる。

『カルテット(2017)』では「だめなところで繋がる」だったが、この作品では「面倒くさいところで繋がる」って感じ。

評論っぽいことを言ってしまうのなら、「面倒くさい人は幸せになれるのか?」みたいな問いは過去の作品の中で語られながらもずっと残されてきていて、ある意味それに対するひとつの答えみたいなものが垣間見える作品だったように思う。

面倒くさい人って捻くれてるものを根底に持ってる人のことだと思うけど、捻くれるのって歪んだ社会で誰よりも真っ直ぐ生きようとした証でもあるわけだし、そういう人にとって他者と生きていくのってそれらを諦めることになってしまう。ただ、今作品における面倒くさいの代名詞である慎森は、最終回で雑談ができるようになるし、お土産も買えるようになる。それは諦めたというより、とわ子や元夫たちとの面倒くさい関わりがあったからだろう。(それにしても、ただのストーカーのはずなのに、1番いいこと言うし、回を重ねるごとに可愛さを増していくのずるい。)

まあでも、本来、生きてるものは手間のかかるものなのだから、むしろ必要な手間を省きすぎなんだよ。そういうのが社会の歪みになるんだよ。そこで真っ直ぐ生きようとしたらどうしたって捻くれちゃうし、かといってそれを恐れて何もできないよりはやりたいことする方が絶対良いし、だからそういうのにとやかく言う人がいたら、私も「ばーかばーか」って言っていきたい所存である。

 

⒊モチーフの美しさと輪廻

私の好きはその辺にゴロゴロしてるっていうか…。ふふっ、寝っ転がってて…。ちょっと、ちょっとだけ頑張る時ってあるでしょ。住所を真っ直ぐ書かなきゃいけない時とか。エスカレーターの下りに乗る時とか。バスを乗り間違えないようにする時とか。白い服着てナポリタン食べる時。そういうね、時にね、その人がいつも、ちょっと、いるの。いて、エプロンをかけてくれるの。そしたらちょっと頑張れる。そういう、好きだってことを忘れるぐらいの、好き。
(『カルテット』、世吹すずめ)

今作品は『カルテット』に関わっていたキャストやスタッフが多く、きっと坂元ファンは情報が公開されたとき、「あれ?真紀さん(松たか子)と別府さん(松田龍平)結婚したの?そして離婚したの!?」と、沸き立ったことだろうと思う。

私は第一話を初めて見たとき、いつもその辺でゴロゴロ寝てしまうすずめちゃん(満島ひかり)が、居眠りの最中に見た夢の世界の登場人物が勝手に動き出しちゃったみたいなお話だなと思った。白い服に飛ぶ醤油、結婚して大豆田という珍しい名字から平凡な田中・佐藤・中村という名字になったとわ子(真紀さん)、真紀さんと別府さんだけで家森さん(高橋一生)が蚊帳の外なところ。でも観ていけば、別の人物だということが分かる。なるほどそうすることで『カルテット』とは別の作品だときちんと線引きしているのだなと思った。(注:私の憶測解釈)

小さなことがちょっと疲れるのかな。自分で部屋の電気を点ける。自分で選んで音楽をかける。自分でエアコンをつける。まあ小さいことなんですけどね。ちょっとボタンを押すだけのことに、ちょっと疲れる感じ。そういう時に、あ、意外とわたし、一人で生きるのが面倒くさい方なのかもなって思います。
(『大豆田とわ子と三人の元夫』、大豆田とわ子)

すずめちゃんから真紀さんへ、真紀さんからとわ子へ。こういうふうに引き継がれていったものが、とわ子の力で乗り越えられてゆく。

満島ひかりさんが以前「坂元さんの作品は役が輪廻しますよね」ということを言っていたが、これは本当にそうで、違う世界で誰かの精神が生きていたり、巡り巡って新しい別の形になったりする。しかも役だけじゃなくて、モチーフもセリフも全部輪廻していくし、今作品ではその扱いの美しさに磨きがかかっていたように思う。ここで詳細を説明するのは粋ではないので書かないが、鹿太郎の水の話のような流動性をずっと描き続けていて、他の作品を知ってるとニヤニヤしてしまうところがたくさんある。

輪廻というのは仏教の考えで、私は宗教はあまり詳しくないけど、それでもすごく真理的な考えだなとは思う。生まれて生きて老いて死んでいく、そしてまた生まれる。そうした栄枯盛衰の繰返しの中で、進化していく。それが何故なのかは分かっていないことだけど、いなくなっても「存在」が消えることがない以上しょうがない。一般的に死については敬遠されがちだけど、過去の人からの声を聴かねば、そこから学ばねば、新しいものなんて生まれない。知らないことを知りたいという欲も満たせない。前にも進んでいけない。というわけで、私はどうも過去の人が書いた本を読んだり音楽を聴いたりしたくなってしまうのである。

 

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いつの間にか5000字を優に越えている。いろんな読み取り方のできるメニュー豊富な作品だったので、正直ここまで書いても物足りてるわけではないし、書いてないことの方が多い。オタクってすごいな。なんだかんだ楽しい。実は表現にまつわるテーマもちゃんとあって、むしろそれに影響されて頭に表現論みたいなこと書いちゃったわけだけど、どうもそれについては今あまり書きたい気分ではないし、書いても辻褄を無理矢理合わせに行った人みたいになってしまうので、今回は欠落させたままにしようと思う。ばいばい辻褄。もしかしたらいつかまた書き出すかもしれない。

これにて今回は終わります。ありがとうございました。

 


パッケージ可愛かったのでたくさん載せておく。サヌキナオヤさん(http://sanukinaoya.com/)の描き下ろしらしい。ひたすら可愛い。

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