雑記

好き勝手言います

夢を持つ人

去年だっただろうか、あまりはっきりとは覚えてないけど、職場の新入社員さんが入社から1年も経たないうちに、「吉本興業に入りたい」という理由で退職したらしい。関わりが全くない人だったので、顔も名前も知らない。人伝いに聞こえてきた話にしか過ぎず、なんなら本当の話かどうなのかもよく分からない。

それを聞いたのは年末の大掃除の時だった。私の働いてる会社では、仕事納めの日の午後に、社員みんなで掃除をする。役割分担され持ち場を掃除するのだけど、人数に対して掃除する場所が少ないので、早々にやる事がなくなってしまい、それぞれがグダグダし始める。暇を持て余した人たちにとって、風変わりな話題は暇つぶしの格好の的だ。

その場にいた人たちは、「えー何それwその子面白い子だったの?w」と、元新入社員くんのことを、物珍しそうに、そして見下すような調子で、楽しそうに噂した。私にはどうも居心地が悪かったので、少し離れたところから、「人間って人を馬鹿にしてる時が一番滑稽なんだよなぁ」なんてことを、ぼけーっと思いながら何も言わずに見ていた。(我ながら毒っ気強いな…)

私だって、その話だけを聞くと、「その子本当にちゃんと考えたのだろうか?準備したのか?行き当たりばったりすぎないか?大丈夫か?そもそも短い期間で辞める職場の人間に大事な夢の話ってするものなの?」という気持ちにはなる。(本当のところはよく分からないのでなんとも言えないが。)

まあ、それはとりあえずいいんだよ。その知らない子の話は置いといて、それよりも、実際に自分の目の前でリアルで起きていたことだよ。

夢を持つ人のことをあんなふうに笑うなんて、さすがに心貧しすぎやしないか?と、思ってしまった。世間というものはそんなに冷めてしまっているのか?会社員だからだろうか?これが普通なのか?

別に、「夢を持ちましょう」「夢を持つことは素晴らしいことです」という話をしたいのではない。夢を持つ持たないなんて自由だ。

思い出したのだけど、昔、保育園の頃、「みんな一人ずつビデオの前で将来の夢を発表しましょう」っていうのをやった(やらされた)記憶がある。こんなの子どもらしいことを何でも適当に言っておけばいいのだけど、私は本当に何を言えばいいのかよく分からなくて、リハでは先生に促されて適当に言い、本番テイクでは結局何も答えられなくてダンマリを決め込んだ。

他の子たちがスラスラ答える中、答えられない私は、この頃から既に不器用人間なわけなのだけど、“将来の夢”というよく分からないものを求められることも、“何かになる“ということ自体もどうしても苦手で、それは今もそんなに変わってない。(正直、好きなことを好きなようにやれてさえいれば、満足してしまう。)

そんなわけで、“夢”というものに対して、辟易した気持ちすらあるわけだけど、だがしかしbut!それとこれとは話が別だ。冷めた気持ちは人生の敵。
なんなら、やりたいことはたくさん、永遠にあるし、それを夢と呼んでもいいのなら、夢の1つや2つや3つや4つや5つくらい平気で持っている。どれだけ賢い見解であろうと、冷めた心は人生の敵!(2度目)

 

ちなみに、夢を叶えるために必要なのは、
①夢を持つ力
→「自分にはできない…」のようなネガティブなブレーキをできるだけ外した上で、できるだけ自由に柔軟に発想する

②現実を見る力
→本当に夢を叶えたいのならば誰よりも目の前の現実を見なくてはいけない

③夢と現実を繋ぐ力
→夢と現実を繋ぐための地道な作業ができるかどうか

の3つなのではないかと、個人的には考えている。(これで夢を叶えました!というものではないので悪しからず)

 

よく、夢を見ている人に対して、「そろそろ現実を見て諦めなよ」とアドバイスする人がいるけど、少々おかしな話だなと思っている。現実を見ることは夢を叶えるための前提条件なわけなので、つまりその人は、夢を見ているだけで、特に叶えようとはしていないということになる。

森羅万象。夢を持つ人も、それを馬鹿にする人も、夢を見れないくらい弱ってる人も、夢の中で生きる人も、いろいろいるのだろうけど、それでもさぁ…という気分になったので文章に書き起こしてみた次第である。

どっかの誰かが、「人生は取材だ」ということを言っていた。たしかに取材の気持ちでいれば、多少の嫌なことや苦手なことがあっても、そこまでダメージを食らわずに、なるほどと思いながら過ごすことができるような気がするし、今回の文章はそんな気持ちで書き始めてみた。

そんで、書きながら思ったのだけど、夢を求められることが苦手なだけで、夢そのものについてはそこまで苦手ではないのかもしれない。