雑記

好き勝手言います

Hole

根拠も理由も意味もない、哲学…風なことを呟く。行き先はよく分からない。

 

シロクマ

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*1

シロクマの毛は、白色に見えるけど、本当は透明で、ストローのような形状をしている。そんでもって、毛の下の地肌は黒色。つまり、シロクマは、白色だから白色に見えているわけではなく、黒色だけど毛の特性と光の加減で白く見えているに過ぎない。

…そんなことを、以前、職場で何かの話の流れでなんとなく喋ったら、意外と知られていなかった。蘊蓄を披露したかったわけでもなく、嫌味な意味でもなく、もっと一般的に当たり前の事実として知られていることだと勝手に思い込んでいたので、知られていなかったことにも、そこまで興味を持ってもらえなかったことにも驚いた。

シロクマは、この毛で寒さから身を守っているらしい。透明の毛を通り抜けた光は、黒い肌に当たる。黒い肌はその光を熱として効率良く吸収する。ストローのように空洞になっている毛は、空気を含み、その空気が温められることで、保温効果を発揮する。さらに、空洞の毛に当たった光は乱反射するので、側から見ると白く見える。氷に囲まれた場所ではそれが保護色になる。(詳しく知りたい人は、【シロクマ 毛 空洞】で検索して下さい。)

普通に生活してたら必要のない話ではあるけれど、私はこういう話がけっこう好きだ。ただの毛の話が、実はただの毛の話ではなく、光や熱の性質の話に繋がっていく。マクロとミクロの世界を行き来できる自由に嬉しくなる。シロクマの真実。秘密の覗き見しているみたいだ。それはそうと、秘密というのは元を辿っていくと、良くも悪くも幸せと平和への願いに行き着くんじゃないかと時折思うのだけど、どうだろうか。
(少しばかり善良すぎたかもしれない。“秘密”というテーマはとても面白いので、気が向いたらまた改めて書いてみようかなと思う。)

 

 

Hole

人には何かしらの穴が空いているとして、それに足掻く事は良いのだけど、穴を埋めること自体を人生の目的にするのは駄目だと思っている。足掻くのは前に進むためにあるべきもので、埋まってなくてもとりあえず前に進む、そうすれば必要なものは自分の内部から生まれるし、生み出せる。

そういったことをよく考える。
欠けた人間の一丁前の誇り。

これ、自分自身の心の穴ではなく、自分の歩く道にある“落とし穴”であるならば、きっと別の話になってくる。落とし穴には落ちないように気を付けなければいけないし、場合によっては、道の修繕や這い上がる力が、怪我をしたのなら手当てが、落とし穴が怖くて歩けないのなら克服が必要になるだろう。

世界は広い。地下で生まれ生きる人、落とし穴から空を見上げる人、他人の道に落とし穴を作る人、考えなしに埋め立て工事をする人…。いろんな人がいて、人が何を欲しているのかなんて本当によく分からない。人間は変な生き物である。

まあ、雨の日には傘を持ち、生きなければいけないときには温かいご飯を食べ、お守りが欲しいときは学習する…。自分にとっての生きるとはそんな感じだなと思う。

 

 

すぬパワー

そういえば、スヌーピーには、
『配られたカードで勝負するしかないのさ。それがどういう意味であれ』
という有名なセリフがある。

名言なんて評されたりすることもあるのだけど、それはともかく、犬であることがコンプレックスなスヌーピーらしいセリフだ。

そんでもって、「名言なんてクソ喰らえだね」という反抗心より、「まあ君がそう言うなら仕方ないね、従うよ」という純粋な気持ちが湧くのは、すぬパワーのおかげだと思う。(でれでれ)

 

 

名の下

「人間は生まれながらに平等だ」と言う人がいる。嘘。人間が平等だったことなんてない。人間はいつだって、見下し、見上げ、責任を押し付け合い、搾取しあって、とうとうどこにも行けなくなる。

平等というものがあるとするなら、法の名の下に平等になれる可能性がある、というだけである。あくまで、可能性。実際は、その法ですら平等にはできていないのだけど、それでも人はその可能性を捨ててはいけないのだと思う。

人間の言う“名の下”というのは面白い。なぜなら、先に述べた可能性を持っているポジティブな面とは裏腹に、(仲間うちの)自由と平等の名の下において差別をしたり、愛の名の下において暴力を振るったりもするからだ。

こういうチグハグが、人間を可愛くしたり残念にしたりしている。やるせない。



孤独

「人は一人で生まれて一人で死ぬ」というのはよく言われる話である。まあ、つまり、人は生まれながらにして孤独なのだ。一人で居ようと誰かと居ようと、孤独が孤独であることに変わりはない。

孤独は、『同情を伴う孤独』と『共感を伴う孤独』の、大きく2つに分けることができるのではないかと、私は思っている。

『同情を伴う孤独』というのは、受動的なものであることが多いように思う。極端な例だけど、例えば、戦争に行かされることになった若い兵士とか。訳も分からないまま戦地に赴き、人を殺す。そういう境遇にあった人は孤独を持つ…というより、孤独を持たされる…といった方が正しいように思う。こういった受動的な孤独は、他者からの同情を齎すだけで、同情はその人に孤立を与える。

もう一つの『共感を伴う孤独』は、例えば、私が最初に述べた孤独の話…これに対して、「ああ、自分も似たように孤独を考えている」と思う人がいたとする。そうすると、孤独であるのにも関わらず、共感が生まれる。交わることのないもののように見えて、孤独と共感は本来両立するのである。(共感したから何かを分かり合えている…とは限らないが。)

ちなみに、『同情を伴う孤独』を持つ人は、『共感を伴う孤独』を、能動的に自分で選び直す必要があるのではないか、というのが私の自論である。

 

 

こだわり

何かをこだわるとき、「こだわりは依存の一種だからね」というのが、いつも頭の片隅にある。

自分にとって大事な価値観であるものが、他人にとってどうでもいいことなんてザラにあるし、なんなら拒否されることも当たり前にある。

もちろん、こだわりがいけないという話ではない。ただ、独りよがりなこだわりほど残念なことはない…と、私はどうしても考えてしまうので、そうならないためのちょっとした自戒のようなものである。ある意味、これもこだわりなのかもしれない。

 

 

知能

知能を持つことは悲しいことなのに、なんで人間は知能を持ってしまったのだろうか。時に、理解というものには悲しみが伴う。

聞くところによると、知能を持つが故に間違えてしまうこともあるそうじゃないか。なんだっけ。えっと、3択クイズの正答率を人間と猿で比べると、人間は猿に負けてしまうとか。経験と想像による思い込みが人を間違えさせる。(人間はどうも悲観的になりやすいようだ)

でも、分かることは面白く楽しいことでもある。たぶん、人は興味を持つことや理解することを、止めることはできないだろう。

以前、とある人が、「明確な原因があるわけでもなく、治すこともできない種類の悲しみがある」という話をしているのを読んだことがあるのだけど、知能がその要因のひとつなのかも…と思った。

何はともあれ、そんなどうしようもない人間には、心の帰る場所が必要なのだと思う。
(“心の帰る場所”というのは、文学や芸術分野の軸の一つにもなっていると思う。)

 

 

後書き

2月に書き始めた記事です。ずっと下書きに放置し続けて、4月中には書き終えるぜと思いつつ、さらに放置し続け、やっと書きました。ちょっとつまんない話になってしまったかもしれませんが、読んでくださりありがとうございました。

 

*1:ポストカードは大神慶子さんという方の作品(keikooogami.com

美容室

髪を切った。短くなった。

めんどくさがって先延ばしにしていたのを、暖かくなってきたのもあり、やっと切りに行った。

今行ってる美容室、お値段が気持ち高めで、ちょっと遠方であるのにも関わらず、ずっとここに通い続けている。ここに通うまではホットペッパーの初回クーポンが使える美容室に適当に行って切ってもらってたのだけど。

この美容室の何がいいかって、私の
「めんどくさがり屋であまり自分で手入れできないし、こういう風にして欲しいっていうアイデアも持ってないけど、特に何をせずともちゃんと纏まって、尚且つ、いい感じの髪型にして下さい」
という、めんどくさいと優柔不断と曖昧を集めて煮詰めたような注文に、きちんと対応してくれるのである…!!!

きっと美容を分かっている人は、どこの美容室に行っても、「こういう感じの髪型にして下さい」を的確に伝えられるのだろう。

だけど、それができない私のような人間にとっては、こういう痒いところに手が届くような仕事をされてしまったら、それはもうそこに通わざるを得ない。

そんなこんなで、普通は美容にこだわりのある人が美容室にこだわるのだと思うが、私の場合、美容に特別なこだわりがないせいで、美容室にこだわりを持ってしまう状況に至っている。

 

今回担当して下さった方は、私の4つ上のお兄さんで、生き物の中で一番サメが怖いらしい。泳ぐのが苦手だそうで、クマやライオンなどの陸の生き物ならまだ逃げる選択肢があるものの、サメだと何も抗えないままやられてしまう…という理論で、サメが一番怖いらしい。

なるほど。

ちなみに、この話の面白かったところは、美容師さんが腰に付けてるハサミとか入ってるカバンみたいなやつ(シザーケースというらしい)を、今は牛革のものを使ってるけど、スタイリストになりたてのころは、サメ革のものを使っていて、それには、「俺にはサメがついてるから怖いお客さんが来ても大丈夫。サメより怖い人はいない。俺にはサメがついてる。だからこれからスタイリストとして頑張っていくんだ!」という心意気が込められていたらしい。そんで、サメより怖いお客さんに出会ったことはないって言ってた。良かった。

…この話は文章だと面白さが半減してしまう。ぜひ口頭で話したいのだけど、仕方ない。今月の個人的面白かったお話No.1に輝いた。

 

この美容室、なんか変わってるんだよな。

前に担当してくれた男の人は、宇宙人の話をしていて、その話に乗っかって宇宙の法則の話をしてみたら、「そういう話好きです!」っていうものだから、その日は、宇宙人と宇宙についての話をしながら髪を切るに至った。

美容室の雑談ってこんなんだっけ?

 

その前に担当してくれてた女の人は、今はもう退職されたのだけど、最後に切ってくれたときに、好きな芸能人の話をして、そのお姉さんは、「私、B専で、星野源がタイプなんです!」って言う人だった。つい、「好きならB専とか言わずに、シンプルに好きって言いなよ」って言いたくなったけど、さすがにそれはウザすぎると思ったので言わなかった。その代わりに、星野源のアルバムについて話そうとしたら、「あ、私、そういうのは分からなくて、ほんと顔だけなんです」と言われた。このお姉さん、パワフルで面白かった。ちなみに、高橋一生が嫌いらしくて、そのお姉さんがあまりに嫌いだと言うものだから、それがちょっと移ってしまって、私も一生さんのことが少し苦手になってしまった。(高橋さんには何の罪もありません)

ランニング中に捨て猫を拾って、飼ってくれる人を探してるって言ってたので、保護猫の活動してる猫カフェを教えたのだけど、その後どうなったのかな、大丈夫だったかな。

 

書きかけのブログがあったのだけど、その記事が書けなさそうだったので、もっと適当な話をと思って、愉快な美容室について書いてみた。なのでオチも結論もない。けど、全ての人類に言いたい。好きなものには余計なこと言わずに、シンプルに好きって言って欲しい。

 

 

雪で思い出したこと

夕方、雪がチラついていたようだ。自分が見たわけではないのだけど、職場の人がそんなふうに喋っているのを聞いて、「うわーまじかー」という気持ちになった。帰る頃には止んでいたが、寒かった。ちょうど昨日、「最近ちょっと暖かくなってきましたよね、まだ寒いけど」「でも、毎年、2月にも一回くらいは雪降ることない?」っていう会話をしたところだったので、なんとなくタイムリーな雪。

雪は年に数回降る程度。あまり降らない地域に生まれて、育って、今住んでいるところも似たような雪事情で。たくさん降るわけでもないのに、雪に慣れてない地域なものだから、少し降るだけでも身の回りはどこかテンヤワンヤする。個人的には、寒がりだからやめて〜ってなるし、あと鈍臭いし危ないので気を引き締める。

雪に対して、こんなふうに敬遠の気持ちを持つようになったのはいつくらいだっただろうか。一応これでも、雪にワクワクしてわーいってなっていた時期が、小さい頃にはあったのだ。ベランダの雪でかまくらもどきを作ったこともあるし、雪遊びもした。それが、ある時からなくなった。割と雪からの卒業は早かったように思う。寒いし冷たいからっていうのがもちろん一番にあるけど、それだけじゃなくて、雪で喜ぶのは子どもだと思ってて、少し大人ぶりたくなった時期に、雪で遊ばなくなった。思えば、雪で遊んでいた時期も、もちろん雪が嬉しくて楽しいから遊んでいたのだけど、別に寒くなかったわけではなく、「子どもは寒さに強いって言うし、私は子どもなんだから平気なはず!」と信じていたから寒くても平気だったのだと思う。そう考えると、「子どもは風の子」って言うけど、実際のところはどこまでが本当なんだろう。

それにしても、年々寒がりになっている気がする。おかしいな、戌年生まれなんだけどな。(関係ない)(きっと筋肉が落ちているんだ筋トレせねば)

戌年生まれといえば、小さい頃(保育園児くらいの頃)、私はどちらかというと鼻が効く方だったのだけど、自分の鼻が良いのは戌年生まれだからだと、かなり本気で信じていた。そしてそのことをすごく自慢に思っていた。「私は戌年生まれだから鼻がすごくいいんだぞ」って思っていた。小さい子って意味分かんない。ちなみに、その自慢の鼻も、今となってはアレルギーによりポンコツである。 

自分の小さい頃、多分ボケっとした子だったんじゃないかなと思う。(今もボケっとしてるが。)はっきり覚えてはないけど、ある日、友だちに「昨日はごめん」ってすごく真剣に謝られたのだけど、「え、昨日何かあったけ??」と、本当になんで謝られてるのか分からないっていう出来事があった。あれ何だったんだろうな。私がボケっとしすぎてて理解できておらず気付いてないのか、本当に前日の出来事を完璧に忘れ去ってしまったのか、相手の子が夢でも見て夢の中でしてしまったことを悔いていたのか、このエピソード自体が私の夢もしくは作り出したものなのか…。その子は自転車仲間だったように思うのだけど。あ、自転車が園内にあって、乗り回して遊んでいて、その仲間ですね。それもあって、自転車を乗る練習をした記憶がない。いつの間にか乗れていた。自転車の乗り方、誰が教えてくれたんだろう。(これ以外で友だちと一緒に遊んでた記憶があまりない。自分で泥団子と折り紙を極めていた記憶しかない。)

ボケっとしてると言えば、小学生1、2年生くらいの頃の話になってしまうけど、一緒に遊んでた友だちに「私は人生2週目だけど、あなたは1週目だよね」みたいなことを言われたことがある。たぶん、私がボケっとしてて、周りとなんかちょっと違ってよく分かってなくて、どこか浮いてる感じがあって、そういう風に言われたんだと思うのだけど、小学生が人生の話してるって思うと笑える…。この友だち、ませてるなぁ…。

今は、どちらかというと、私は人生2週目、いや3週目なんじゃ?って思うことが多いかなぁ。

他にもいろいろ思い出した諸々(珍事件含む)があるけど、話に収拾がつかなくなってきたので、今日はこれにておしまい。おやすみなさい!

 

***
明日の自分へ
家のトイレットペーパーが残り1ロールです。危険です。至急用意されたし。

PONKOTSU

活動量がなんとなく減っている。寒いので自動で省エネモードしている。心なしか寒さは控えめになってきた気はするが。久しぶりにブログを開いてみたが、書き方どんなだっけ、となっている。文章ってめんどくさいんだなぁ。しみじみ。年を越すときにブログの書き方置いてきてしまったようで、今に至る。思い出しつつ、準備運動のつもりで、ポンコツなりにしたためてみる。

 

サボり

職場の新年会をサボった。コロナ禍でずっと中止されていたのだけど、今年はやると社長が言い出したのだ、突然に。うっぜぇやんなくていいよめんどくさいわざわざ復活させんなやと思い、出欠の回覧が3番目に回ってきて、前の2人が出席にチェックしていたけど、「え〜わざわざやらなくてよくないですか?行きたくない〜先輩どうされます??…きっと欠席付けてる人いたら他の欠席したい人も欠席にしやすいだろうし、私、意思を持って欠席しますねw」などと言いながら、有無を言わさず欠席にチェーーック!!した。

元々、ほぼ半強制的な不毛でイカれたクソなイベントで、ホテルの美味しいご飯は食べれるけど、つまんない人たちの話を聞くのは時間の無駄すぎて付き合うモチベーションnothing。こういうことにお金使うくらいならその分賃金上げてくれた方が嬉しい。古い体制が少々残る会社なので、こういうことがいきなり社長の鶴の一声で決まるし、周りにいる奴らも止めたりできないの、まじfuck。てめぇら何のために偉そうな肩書きつけてんだ。ちょっとはまともに仕事しろ。肩書きに負けんな。冷めた空気に気付け、つまんないポンコツになるな。ついでに、思考の歪んだ頭の固い学ぶことを知らない理解力の悪いお年を召した方たちは社会の中心から退場しRO。腐った脳みそで決定権乱用すんな。それと、調子だけこいた悪ガキ共は産まれるところから人生やり直せ。えっと、よく分からないけど、とりあえずまずは光速を目指すんだ。yeah!

…おっと、いけない。久しぶりのブログで寝ぼけているのか、毒っ気の制御が上手くできていないようだ。強すぎ、強すぎ。私としたことが、いけない。失敬。てへ。

ちなみに、先輩も上司も欠席していた。他のチームはやたら出席率高かったけど、うちのチームのサボり率はやたらと高かった。大概、多くの人は周りの流れに頑張って乗っているだけなので、やろうと思えば自分で流れみたいなものは作れてしまえるのだけど、まあそういうのはどっちでもいいし、めんどくさい。団体行動嫌い。我が道を行くのには苦労が付き物なのだ。(もちろん流れに乗ること自体は悪いことではない。私も乗るときは乗る。)

 

靴磨き

靴を磨いた。昨年の秋頃に買った、新しい白のスニーカー。高いものというわけではなく、普通のただのスニーカーなんだけど、白だからね。購入時にお手入れの仕方をお店の人に教えてもらい、久しぶりにクリーナーを使ってゴシゴシした。まだ新しいけど意外とすり減っていることに気付いた。こういうのってやり始める前はダルいなぁって思うけど、始めてしまえば楽しい。物のお手入れ作業けっこう好き。

靴を磨きながら、「そうなんだよ、こういうことなんだよ。一番負担のかかるところに、目を向けて、手をかけられるかってことなんだよ…。なんでそれができない奴ばっか人の上に立ちたがるんだよ。自分の靴、自分で磨いたことあるのかな?」などとごちゃごちゃ思った。何かの自己啓発本とかに、「成功するにはまずは靴を磨きましょう」的なアドバイスって書いてありそうだよな。なんというか、何を持って成功とするかは分からないけど、こういうのってあまり当てにならない。

靴の話とちょっと離れてしまうけど、だいぶ前から、「いい靴を磨いて使うより、安価な靴をたくさん作って汚れたら買い換えればいいじゃない、その方が儲かるし!」的な思想が、人や物に対する扱われ方のトレンドになっていて、資本主義だからね、資本主義の全部がダメというわけでもないし、どうしようもできない部分もあるのだろうけど、ただ何も考えずにレールに乗るだけで過ごしていたら、有無も言わさず渦に飲み込まれて、ほんとただそれだけの人間にになってしまうような気はする。市場の価値がそのまま人や物の価値とイコールというわけでもないし、何なら「特別」と「価値」は相容れない矛盾したもの同士なわけだし。(価値があるということは代わりがあるということで、つまり特別ではないということだから)

何か小難しい話に派生してしまった、ポンコツな頭で…。今日はこのくらいにしよう。終わり。高くても安くても自分の気に入ったものを大事に使うのが一番いいと思います。

 

リサイクルな扇風機

大掃除で集めた粗大ゴミを捨てた。ほんとは年末に捨てに行くつもりだったのだけど、自己搬入で予約した日に雪が降ってしまい、先延ばしにしていたのだ。

あと、使わなくなって埃被ってた扇風機を掃除して近所のリサイクルショップに持って行った。三度。
一度目は買取受付時間が終了してから持って行ってしまった。二度目はちゃんと時間を調べて持って行ったのに、年末年始だったせいでいつもと受付時間が変わっていて、早めに締め切られており、ぎりぎり間に合わず受け付けてもらえなかった。残念。二度もお持ち帰りする羽目になってしまい、大学生の一人暮らし始めたての頃に買ったものだったのもあって、なんとなく手放し難くなってしまった。

ある日、TVerで再放送されてた大豆田とわ子を久しぶりに見返した。ドラマの二話目で新しいソファを買うというエピソードがあるのだけど、古いソファを「長く使って思い入れもあるしどうしようか、でもまあ決めたら思い切りいい方だ」なとわ子さんを見て、私も「場所も取るし、扇風機もう一度持って行こ」と決意して、三度目のリサイクルショップへ行き、やっと受付時間に間に合い、買い取ってもらえた。我ながらポンコツ。ちなみに、この少しだけ特別な扇風機は50円になった。

大豆田とわ子、私のベストofドラマだなと思う。年1くらいのペースで見返している。一話目から松さんのお風呂de歌唱聴けるのも凄い。それにしても、なんでこんなに 可愛くて優しくてめんどくさくて面白くてお洒落でキュンなもの作れるんだろう…。(尊敬の眼差し)

 

髪切りたい

髪の毛邪魔だなー。切りたいなー。でも、まだ大丈夫っちゃ大丈夫だし、髪の毛のこと考えるのも美容院行くのもめんどい。もう少し暖かくなってから切ろうかな。人類はなぜ髪型を気にするのだろう。みんな等しく髪の毛なくなったらどうでもよくなるのに。あ、でも、そうなったら、みんなが頭蓋骨の形とかに執着し始めるのかな。それはそれで嫌だな。

 

大きな桃

昔々あるところに、腰痛持ちのお爺さんと、手荒れの酷いお婆さんがいました。お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に行きました。お婆さんが頑張って洗濯をしていると、どんぶらこ どんぶらこ、と大きな桃が流れてきました。珍しかったので家に持ち帰りたかったのですが、手荒れが痛くてこれ以上手を水につけたくなかったので、通りすがりの爽やかなイケメンを捕まえて、代わりに桃を拾ってもらいました。お婆さんは、「桃の美味しいスイーツを作るから、できたらまた連絡するね」と言って、イケメンとインスタを交換しました。今時の子は、LINEでもメールでもなく、インスタのDMでやり取りをするらしいと聞いていたので、遅れを取るまいと、インスタを始めていたのです。ナンパに成功したお婆さんは、桃を担いで家に帰りました。(続く…かもしれない)

 

二人ぼっち

この週末は楽器をたくさん吹いた。最近あまり譜読みの時間が取れていなかったので、休日中にコツコツ頑張った。楽器の練習するということは、「二人ぼっちする」ってことだなと思って、なんか良かった。

楽器ケースを整理していたら、楽器の保証書や選定書などが出てきた。今使ってる楽器、2013年7月に購入したようだ。10年前…!!もうそんなに経つの…。驚き。ちょうど高校卒業した後の夏だったと思うのだけど、っていうことは、高校生だったのって10年以上前ってことか。月日早い…。

 

さいごに

書けない〜、書く気になれない〜って思ってた割には書けたけど、少々粗くなった。今年もよろしくお願いします。

 

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2022✈︎2023

最近のこと&今年のまとめ&来年のことなど、
ざっくばらんに書きます。

2022年、ありがとうございました。
年末年始、いい感じにお過ごし下さい。
良いお年を♡♡♡
(ぺこり)

 

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▶︎▶︎もくじ▶︎▶︎

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みかん

職場の先輩からみかんをたくさん頂いた。親戚の人がみかん農家らしくて、毎年たくさん送られてくるけど食べきれないからどうぞって言って私に分けてくれるのだ。ということで、ここ数年、自分でみかんを買っていない。みかん大好きだから非常に嬉しい。出べそみかん。わーい。らぶ。

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(ほんとはもっとあった。写真はだいぶ食べた後。みかんって永遠に食べれる。)

 

 

愛のバリエーション

日々寒いので、「早く布団に帰りたいなぁ」と思いながら過ごしている。布団に住みたいとか、布団に就職したいとか、布団と結婚したいとか、散々言ってきたせいで、布団への愛を語るための言葉のバリエーションが尽きてきた。…と思ったのも束の間。来世は布団になってぬくぬくぽかぽかの使命を全うしたいし、ドラクエのように旅をするなら真っ先に布団を仲間にしたいし、こたつを我が家に導入すること(浮気)もしない。…意外とまだ尽きていないようだ、バリエーション。むしろ、こんなに雄弁に語られる愛ってどうなんだ、と思うので、これ以上は黙っておくことにする。らぶ。

 

 

三種の神器

冬のことはそんなに嫌いじゃないけど、冷えと乾燥のことは敵認定している。ということで、冬を乗り切るための仲間を、新しく我が家に迎えた。紹介しよう!!!

一つ、象印のスープジャー。職場にはいつも適当に詰めたお弁当を持参しているのだけど、冷たいお弁当がどうしても寒かったので、導入するに至った。使ってみて実感している、なんで今まで入手せずにいられたのか、と。スープ、シチュー、鍋、味噌汁など、ほかほかの状態で待っていける。ありがとう、マホービン!ありがとう、断熱構造…!!おかげで昼食に温もりが生まれた。しかも、今回導入したのは、最近新しく出た、部品が少なくお手入れ簡単な商品。そういうとこもかなり気に入っている。ありがとう、企業努力!!!らぶ。

 

 

二つ、加湿器。前に、職場の宴会の景品で貰ったものを使っていたことはあるのだけど、収納悪い+すぐにカビが付いてしまうので、処分してしまった。加湿器とはそういうものだと、それ以降持たないでいたのだけど、乾燥が気になってしょうがない。衛生的にはスチーム型のものが良さそうだが、電気代を食うらしく、超音波型のものは安くてお手軽だけど、こまめに手入れしないと不衛生…。悩ましい。

そこで導入しました、
BRUNOスヌーピー卓上加湿器。

私、天才かもしれない。

超音波型だけど、構造がシンプルで、しかもスヌーピーで可愛いから、ちゃんとこまめにお手入れできる。小さいから持ち運び自由だし、使わない季節の収納に困らない。充電もできるし、アロマウォーターも使える。パワーは期待できないけど、そこは承知の上だし、自分の身の周りだけを加湿するだけならあり。らぶ。

 

 

三つ、電気ケトル。今まで持っていなかったのだ。置く場所取るからなぁと、お湯はやかん派だったのだけど、部屋のキッチンが一口しかなくて、朝など特に不便なので、導入するに至った。すぐにお湯が沸くの、めっちゃ便利。大きいと置く場所に困るので、少し小さめの、0.5Lのものを選択。一人暮らしなら十分だ。底面を濡らしてはいけないので、丸洗いはできないけど、口元広いので、洗剤とスポンジで簡単にお手入れできる。温度調整機能が付いてるのも良い。お茶を好きなように温かくするのもお手のもの。自分の求める条件のものがなかなか見つからなくて、探すの苦労した。買ってよかった。らぶ。

 

…私、TVショッピングのおすすめ商品紹介、できる気がする。
(楽しかった。またやりたい。)

 

 

仕事納め

29日、仕事納めだった。昨年は、11月〜12月にかけて、仕事がめちゃくちゃ忙しくて、ヒイヒイしていたのだけど、今年はかなり落ち着いていて、ずっと定時で帰れていた。年末ぎりぎりに急ぎの案件が入ったものの、それも来年に持ち越すことなく、今年中に全て片付けることができた。11月に体調を崩していた関係で、12月はリハビリだと思って、プライベートの予定もだいぶ緩くした。例年、年内に大掃除する暇がなくて、年明けてから掃除することが多かったのだけど、今年は年末に部屋の大掃除もできている。嬉しい。すごく穏やかな年末でいい感じだ。大掃除、頑張る。ᙏ̤̫

 

 

運動

不摂生を解消するため、最近、YouTubeの、ヨガと筋トレと有酸素運動のプログラムを頑張ってこなしている。今までもたまにやってたのだけど、このところは週に1度、30〜40分くらいかけて取り組むことにしている。(10分くらいならもっと頻繁にやっている。)寒くなって外に出たくないからお家で運動。今のところ、3週間は続いている。とても怠け者な人間なのに、頑張ってて、超×10000偉い。私、人類の鏡かもしれない。ぴかーん。

 

 

クラリネット

今年のクラリネット練習の成果をメモ。
赤色が今年新たに取り組んだもので、黒色はそれ以前のもの。

 

*アイヒラーのスケール
・全調①〜⑦まで全部
・全調①② 暗譜&スラー&タンギング(藝大の試験ver)

エチュード
・ローズ:32のエチュード
・カヴァリーニ:30のカプリス
・ブランク:40のエチュード 一巻、二巻
・ジャンジャン:段階的な旋律練習曲 一巻

・ドゥレクリューズ:14の大練習曲(現在進行中)
(ブランクとジャンジャンは昨年の続きからやり最後まで終わり、ドゥレクリューズは今年から始めまだ途中、来年に持ち越し)

*取り組んだ曲
ブラームスソナタ 1番 2番
サン=サーンスソナタ
ウェーバー:序奏、主題と変奏
ウェーバー:変奏曲
ウェーバー:grand duo concertant
・ラボー:ソロドコンクール
ドビュッシー:第一狂詩曲
ウェーバー:コンチェルティー
・メサジュ:ソロドコンクール
ヴェルディ、ロヴレーリョ:「椿姫」による演奏会用幻想曲

ヴェルディ、バッシ:「リゴレット」による演奏会用幻想曲
サラサーテ(ニコラ編):カルメン
プッチーニ、ジャコマ:トスカ幻想曲
・マスカーニ、ジャコマ:カヴァレリア ルスティカーナ幻想曲
ロッシーニ:序奏、主題、変奏
・ガーデ:幻想小曲集
ラヴェル:ハバネラ
バーンスタインソナタ
オネゲルソナチネ
・ブルクミュラー:デュオ(現在進行中)

 

スケールは、昨年受けた合宿で刺激を受け、今年は受験生と同じ形式で取り組んだ。だいぶ安定してできるようになったと思う。来年は、これに加えて、⑤と⑦も暗譜でできるようにしてみようかなぁと密かに考えている。

エチュードは、ドゥレクリューズを年内に全部やり切るつもりで意気込んでいたのだけど、最近練習をお休みしていたので、4曲ほど残して年越しを迎えることになった。お正月休みを利用して、エチュードの譜読み頑張りたい。

今年はとにかくたくさんの曲に取り組んだ。特にオペラをたくさんやった。取り組んだ12曲中、5曲がオペラ。オペラローラー作戦だった。譜読みが少々大変だったけど、愛と死の要素でできているオペラは楽しくて面白くて好き。ヴェルディ楽しい。カルメンは通すのがほんと一苦労だったので、これをもっと楽々通せるくらいにはなりたいものだな。オペラ意外だと、バーンスタインソナタなんかは、変拍子のリズムがとても楽しかった。ピアノと合わせてみたいなって思った。

あとは、最近、息の持続の仕方に思うところがあって、息のトレーニングを始めてみたり、音作りのために課金したり、ダブルタンギングを習得するためのコソ練をしたりしている。

楽器は、いつだって、ずっと、上手くなりたい。技術は自由のために必要だなと思う。先が遠くて幸せ。頑張る。

 

A管欲しいなー。貯金しよう。
楽器も楽器関連用品も、ガンガンに値上がりしてるの、悲しい。
賃金増やせ!!戦争すんな!!!

 

 

おべんきょう

最近、英語と数学のお勉強をやり始めた。すごくコツコツとだけど、今までの勉強するする詐欺と比べると、一番ちゃんと続きそうな気がしている。TOEICと数検の勉強してみようかなと思っている。趣味で。本当に受けるかどうかは分からないけど、TOEICは履歴書に書けるくらい、数検は1級取れるくらいになりたいなと、なんとなく考えている。英語は大学入る時に勉強して以来、勉強しようと思いつつもほとんどせず、数学は高校を最後にほとんどやっていないので、どちらも化石となったものを掘り起こすとこからのスタートだけど。英語なんかは特に、点数を取るためのテクニックとかではなく、コミュニケーションのツールとして使えるようにすることを目標にやりたい。どこまでできるか、本当にちゃんとやるのか、分からないけど、来年の目標。

 

 

英語といえば

サンシャイン池崎さんの『ネタを英語通訳してもらってみた』(https://youtu.be/FtnqWPPF3g4)っていう1年前の動画がお気に入りでたまに見る。サンシャイン池崎さん、面白いし喉強くて尊敬する。一万回ジャスティス叫んだ次の日に、もう喉治ってるの強すぎ。あと、「バコッ!ピキピキパコッ、ピーナッツ!」が好きw。

 

 

英語といえば2

昔、何かで、どこかの翻訳家の人が、「翻訳は元の作品を殺すところから始まるってことを忘れてはいけないと思いながら仕事している」って言ってたのを思い出した。誰が言ってたのか、どこで見たのか、全然覚えてないけど、面白いなと思ったので記憶している。言語の変換というより、文化間交流みたいなものだもんなぁ。面白い。

 

 

さいごに

2022年。早かった。気付いたらもう年越し。なかなか不穏な空気が漂っていて、不安になる。踏みにじられる人々、無責任な大人たち、生きることや暮らすことへの不誠実な行い、軽くなっていく命。時代に巻き込まれていかざるを得ない、そんな気持ちにさせられる。達観の一つや二つくらい、簡単にしてしまえる。まだまだ自分のことで必死なことも多いけど、なんだかんだ気付いたらもうアラサーで、自分にできることは何なんだろうか、なんてことも、少しばかり考えるられるようになってきた。立派なことはしたくないし、大きなことはできないけど。できる限り元気でいたい。そんでもって、もっと、聡明で馬鹿な人間になっていきたいと思う。(終わり)

耳の症状が再発した話

寒い。平安時代のスーパーミラクル大ヒット超ロングセラー天才ブロガーの清少納言先生は、枕草子で「冬はつとめて」とおっしゃったが、怠けきった根性しか持ち合わせていない私のような人間は、先生ちょっと心臓強すぎじゃない?と思ってしまう。冬の早朝の美しさに心を寄せる余裕はあいにく持ち合わせておらず、お布団に包まってぬくぬくしていたい気持ちでいっぱいだ。冬はお布団。お布団最高。

11月の初めに、低音障害型感音難聴(低音の聴力がおかしくなったので、たぶんこの病名。突発性難聴メニエール病と同じ系統の病気で症状の出方によって名前が変わるらしいので、はっきりとは診断されてない)になってしまい、薬のおかげで治ったと思いきや、その数日後に再発してしまい、しばらく耳の不調が続いた。目眩などはなかったが、再発時は頭痛が伴い、低気圧にも過敏になってしまい、かなり翻弄された。調子が悪いと神経質になりがちだけど、神経質になること自体が病状悪化の原因にもなったりするので、神経質スパイラルを抜けるのがけっこう大変だった。

治ったと喜んでいた矢先での再発だったので、「え、繰り返す可能性あるって聞いてたけど、こんなに早く?」と、気分萎え萎え太郎って感じだった。聞くところによると、軌道に乗るときちんと治っていく人が殆どだけど、たまに薬を辞めたタイミングで再発してしまう人もいるらしい。

そんなこんなで体力とメンタルをけっこう消耗してしまったのだけど、薬もきちんと効いてくれて、なんとか無事回復した。元気。やったね。安定しているし、今度こそきっと大丈夫だろう。

…あ、気分萎え萎え太郎っていうのは、激おこぷんぷん丸の仲間ですね。私が勝手に作りました。脳内で。「激おこぷんぷん丸」と「気分萎え萎え太郎」と「ときめきキュンキュンの助」のトリオ。いや、ぷんぷん丸一人だと寂しいかなと思って、勝手に仲間を増やしてしまったんだよね。すみません。ぷんぷん丸が“怒り“というネガティブな感情をJK文化の力で可愛く表現しているのに対し、私が生み出した二人は可愛くない。ダサい。何でも可愛くすればいいってもんじゃないんだぞという反骨精神さえも感じる。(感じません。)「え?何言ってんのこいつ」っていう目で見られたくないので、現実で使ったことはない。使ったことがないのに生き残ってしまっている。脳内で。使いたい人がいたら使ってもいいよ。白い目を向けられることへの保障はしませんが。(なんならぷんぷん丸もほとんど使ったことないし、流行ったのだいぶ前だよね)

そんな不調時に思い付いたことや考えていたことなどをざっくばらんに書いてみようかなと思う。たぶんそんなに面白くはないし、体調が悪いときに考えていた話なので、苦手な人は読まないでもらいたい。

 

 

「耳の調子が悪くても何かを聴くことを徹底して辞めようとしなくていいよ。なんなら、クラシック音楽は耳に良いっていう論文もあるくらいだし。」とお医者さんに言われたので、聴きたいクラシックの曲をいろいろ聴いた。個人的な感覚だけの話だけど、耳がおかしいときは人の声がとてもストレスで、楽器の音の方が癒された。楽器の音より人の声の方が重要視されがちだけど、楽器の音捨てたもんじゃないな、と思った。(別に元から捨ててないけども。)

そんなことを考えながら眠った日、中学生の時の吹奏楽部の顧問の先生が夢に登場した。夢って今関わってる人より、昔の人が登場しがちな気がする。不思議。その先生は某音大出身の人で、専門ではないし喉に不調を抱えてると言っていたけど、歌が上手くて美声な人だったので、夢に現れたのかなと思う。夢の中って現実よりも増し増しの美声で再生されるんだな。私の行っていた学校の吹奏楽部、県の中では割と強い方だったのだけど、その先生がスパルタタイプの人で、私の代ではだいぶ丸くなった方だったけれど、the体育会系文化部という感じだった。ああいうの、吹奏楽部の悪しき文化だと思うね。普通に教えてくれたら分かるし。プレッシャーよわよわ人間の私は常に緊張していて、苦手だった。人としては別に嫌いではないけど、音楽ではもう関わりたくないな。音楽やってると不思議なもんで、音楽での関わりは許せるけど普段の関わり方がよく分からない人もいれば、普段はまあいいけど音楽ではあまり関わりたくない人、というのができるようだ。もちろん、どちらも大丈夫な人もいれば、どちらも嫌な人もいる。

この先生、音楽の授業の内申点、4しかつけてくれなかったんだよな。5くれなかった。リコーダーやペーパーのテストで良い成績出しても4止まりだった。歌がそこまで得意じゃなかったし、緊張に弱かったし、ピアノ弾けないし(これは習ってないと無理だからそんなに影響してないと思うけど)、器用じゃなかったし、この人が気にいるようなタイプの人間でなかったのもあるかな、などいろいろ思うけど、お前には才能がないんだと言われているようでいい気はしなかった。うっせぇ、言われる筋合いないんだよ、そういうので音楽してるんじゃねぇんだよ、と思う。何か理由が理解できてどうすればいいのかが分かればもっと納得感あったのかもしれないが。

その後の過程で関わったいろんな人たちから、他のいろんな評価や反応は貰っているし、特に今は、自分が一番厳しく、かつ否定せず自分を評価していると思っているので、的に当たってない限りは人に何言われてもそんなに気にしないと思うけど、こういう古い、小骨のような評価って、たまに思いがけず、前に進むことを不自由にするんだよな、といったことを思う。

 

耳だと、軽症であっても、けっこう焦る。一応、端くれなりにも音楽もやっているし。楽器できなくなるのは、過去にも「これが最後かなぁ」と思うことは多々あったし、実際やめていた時も何度かあるから、比較的慣れているけど、聴けなくなるのは嫌だな、と思った。音程が狂ったら音楽なんて苦痛でしかないし。音程狂ってないか、度々不安になる期間があった。こんなふうにして、神経質具合が高まっていくのですね。そんなことを考えてるとき、クラの師が、演奏家さんの身体の不調エピソードを教えてくれた。なんとなく癒された。自分の思いもよらないようなことが何かしらの妨げになってることってあるよな、と勉強になった。楽器ができなくなるの慣れてるとか、そういうの思うのやめよう、って思った。

 

目眩出なくて良かった。目眩出ると、きっと動けなくなるだろうから、それはお手上げすぎる。目眩といえば、昔、中学3年生の時の正月に、父親に目眩と吐き気の症状が出て、救急車を呼ぶはめになったことがある。メニエールじゃない?って感じだったが、原因は不明らしい。どうせストレスでしょう。まあ、それ自体は私的にはそれほどなことだったのだけど、そのことを冬休みの宿題の毎日一言日記に書いたら、担任の先生から、「大変だったね。知らなくてごめんなさいね」的な返事が返ってきた。起こった出来事を軽く書いただけで、知ってほしいとか、そういうつもりもなく、ただ宿題だから書いただけだったので、その返事に驚いた。特に出来事を伝えていたわけでもないから、知らないのは当たり前なのだけど、その先生はたぶん、私に何かしらの責任を持とうとしてくれたのだろうと思う。

思い返せば、学校生活のちょっとした理不尽なこと、例えば係の仕事の他の人がやってないのを、まあ自分でやってしまった方が早いしと飲み込んでやってしまったりとか、そういうのに気付いて、「そんなことになってるの気付かなくてごめんね」と言って対処してくれたこともあった。特に不満感じていたわけでも、不満を言っていたわけでもないのだけどね。しかも、飲み込んでしまうことを一度も怒ったりしなかった。普通、自分から言わなくちゃいけないとか、なんとかしようとしないといけないとか、説教する人が多いと思うのだけどね。そういう説教も含めてめんどくさいんだけどね。

その先生は、中3になるまでほとんど関わりがなく、なんとなく厳しそうなイメージだけがあったのだけど、イメージとは裏腹、すごく優しくしてくれた。宿題に、毎日提出する先生との交換日記のようなものがあったのだけど、それまでは1行しか書かないせいで注意されることとかもあったけど、その先生が担任の先生になった中3からはたくさん書くようになった。その人は、定期的に手書きのクラス通信を出して、日記にいいことを書くと、クラス通信に匿名でその文章を引用してくれた。引用してもらえるのが嬉しくて、たくさん書くようになった。匿名なので、こんなこと考えている人がクラスにいるのかぁというのも面白かった。数学の先生だったので、私も数学がとても好きになった。読みやすい整った文字を書く、凛とした声の、旦那さんと息子さんと玉木宏のことが好きな人だった。数学って解き方に個性が出るけど、ごちゃごちゃさせないシンプルな解き方を好む人だった。卒業前の最後のクラス通信で、「ハサミではなく、糊でね」と言って、好きな詩として、茨木のり子の『自分の感受性くらい』を載せた。思えば、茨木のり子を知ったのはこの時が初めてだった。いろいろ覚えてるものだな。受験も、あまり高校とかに興味がないタイプだったけど、この人が良いように促してくれたから頑張ったように思うし。感謝。

 

不調の波の影響で、少々センチメンタルになるような思い出から愚痴のようなものまで、いろいろ思い出したり考えたりした。まあ、こういうことも良いでしょう。薬も効いて、ちゃんと復活できたし。微妙な終わり方だけど、これで終わり。生活習慣気をつける…!!(おわり)

 

*後記*

youtu.be

なんとなく、昨日から、フランス国立管弦楽団のプロコのロメジュリを繰り返し聴いている。この演奏から漂う甘さに、なんとなく興味が湧いている。クラの人、たぶん私と同年代な気がする。
そういえば、ロミオとジュリエットがラストですれ違いになってしまったのって、感染症の濃厚接触者隔離の影響で届くはずの手紙が届かなかったせいなんだよな。(それくらい、シェイクスピアにとって、感染症は怖くて残念で悲しいことだったんだろう)

 

 

 

 

👂memo2👂
(自分のために記録)

14〜16日目:
調子良い。ビタミン剤などは飲み続けている。飲み終わったら病院行かなくて良い。

17日目:
耳に若干の違和感を感じる。

18日目:
耳がおかしい。昨日と比べるとあからさまにおかしい。病院に行く。症状は前回ほど酷くはないものの、再発。ステロイドはあまり続けて使いたくないとのことで、シロップのお薬(イソバイド)を処方される。ネットで調べてみると、不味い薬として有名らしい。これで戻らなかったら再度ステロイドになる予定。飲んでる薬は4種類に。

19日目:
会社に行ったが、調子が悪く、もうどうでもよくなって、午後休む。帰宅して寝る。薬のせい?低気圧のせい?メンタルのせい?体調が悪い。

20日目:
やる気が出ないし調子悪いから、仕事休む。

21日目:
ちょっと復活する。仕事行く。通院日だったので、仕事終わりに病院行く。聴力きちんと戻っていた。薬が効いてくれたらしい。薬が続いていてしんどかったので、さらにステロイドを投薬することになっていたらしんどすぎて無理だった。戻ってくれてよかった。ただ、体調が悪い。頭が痛い。低気圧による影響を和らげるための漢方薬を出してもらう。こまめな水分摂取と有酸素運動を言われる。水分摂取目標は1日1.5L。薬減った。

22日目:
休日。体調悪すぎる。頭痛が酷い。今まで一番痛い。寝込む。シロップの薬2回分残ってるけど、体が拒否して飲めない。全部飲み終わってから新しい薬に切り替えって言われていたが、聴力は戻っているし今日から切り替えることにした。この体調不良が薬のせいなのか、低気圧のせいなのか、よく分からないが、とりあえず頭痛改善の薬飲みたい。薬は2種に。

23日目:
休日。頭痛で寝込む。昨日よりはマシ。夕方動けそうだったので少し外に出て歩く。運動した方がいいのだろうけど、体調悪いとなかなか動けない。

24日目:
頭痛は若干あるもののひとまず動けるし、だいぶ復活したので仕事行く。曇り空で若干雨が降っていたが問題なく過ごせる。

25日目:
低気圧にやられる。頭痛。あとだるい。起きるのがしんどい。仕事休む。薬やめたのに調子悪いってことはやはり低気圧が主な要因のようだ。ただ、あの独特な不快感は薬によるもののような気がする。

26日目:
頭痛あるが動けるので仕事行く。が、全く元気出ない。とりあえず頭が痛い。でも、これくらいならなんとか働ける。今仕事が落ち着いてるのが救い。まあ体調悪けりゃ忙しくても休むけど。有休は権利。使えないなら会社員の意味ない。上司の一言が気に障る。体調不安定で有休乱用しているのを心配してのことだと思うが、余計なこと言わないで欲しい。ちゃんと病院行って改善に努めてるし、あまり体調に対してプレッシャーをかけないでほしい。私は仕事のためではなく、自分の体調のために病院行ってんだよ。この人の弱ってる人にかける言葉が下手くそなのは知ってるが、元気な時なら適当に躱せることも、弱ってると無駄に食らってしまう。神経質になりすぎている。自律神経と情緒が迷子。

27日目:
起床時に頭痛があるものの、それ以外は痛みがない。今日の感じからすると、昨日はとても体調悪かったみたいだ。ケロッとしている。迷子だった奴らが戻ってきてくれたようだ。今日から12月。寒い。
通院日は明日だけど、時間できたので動けるうちに病院行く。聴力は安定している。ただ、耳が治ってるのに、これだけ頭痛が残ってるのが謎らしい。肩こり持ちなので、それが影響しているかもしれないとのことで、頭痛と肩こり緩和の漢方をもらう。薬は2種。頭痛続くようなら一度MRI撮った方がいいかも、紹介状書くから治らないようなら来てって言われた。どうかこのまま回復してほしい。久しぶりに音出しした。

28日目:
起床時に頭痛あり。それを乗り越えたら痛みはなくなる。メンタルのせいもあるかもしれない。いつもよりプレッシャーに弱くなってるし、少々神経質になっている。
仕事終わり、上司と先輩と、雑談+昨日の病院での話。こういうのはできるだけ言っておいた方が配慮してもらえるしな。
夜、なんとなく耳の調子が気になる。若干音が遠いような気がする。気のせい?不安になる。
肉食べたくて、ローストビーフ作る。ローストビーフは、意外と簡単だし、肉食べたい感をかなり満たせるメニュー。後で調べたら牛肉は耳に良さそう。

29日目:
休日。頭痛かなり改善した。体調だいぶ戻った気がするが、元気出ない。ずっとゴロゴロだらだらした。耳に違和感感じる。良くない想像ばかり膨らむ。

30日目:
休日。頭痛なくなったの有難い。聞こえは大丈夫だけど、耳に詰まり感を感じる。今日は動こうと思って、ヨガ。あと家事。心の葛藤ありつつも、元気にならねばと思い、奮発して鰻を出前で取ってやった!!えっへん。バイバイ英世。

31日目:
調子良い。詰まり感も昨日より落ち着いてる。楽器のリハビリで音出しする。高音時に若干の違和感を感じる。ちょっとだけキンキンする。けど、たぶんこの不調は自力で治せそうな気がする。

32日目:
ヨガと耳のマッサージした。やりたいこといろいろあるけど、早めに寝ることにする。

33日目:
耳の詰まり感改善したように思う。元気!水筒のお茶とペットボトルの水一本を就業中に飲み切ることを自分に課す。

35日目:
薬飲み終わる。安定している。元気!

37日目:
休日。ダラダラする。今月は緩めの予定にしてるので何も予定ない。元気!ちょっと夜更かししてしまったのが反省。

38日目:
整体に行く。教えてもらった肩こり改善のツボが良かった。使えそう。ブログも書けた。元気!

消えた駅

先日から耳の不調が続いていたが、無事に回復した。ご飯もたくさん食べて、なんなら前よりも元気もりもりになった。軽度な症状で済み、ちゃんと治ってくれて良かった。聞こえなくなったわけではないから、こんなことで分かった気になるのは違うけど、音のない世界ってこんな感じなのかなぁと、想像して勉強になった。人それぞれ見えている世界も、聞こえている世界も違う、それってこういうことなんだよな、というちょっとした体験だった。外って思ってるよりうるさいよなぁとか、今までとはまた少し違う聞き方で周りの音を聞くようになった。(…ような気がする。)
私は変な好奇心を持ち合わせているので、音のない世界に俄然興味が湧いた。いや、治ってくれて本当に良かったんだけどね。(目眩とかあったら大変だったよ、絶対お手上げだよ、なかったからこんな調子こいたこと言えるんだ。)

お医者さん曰く、この類の症状はまた繰り返す可能性があるらしい。あらら。そんな繰り返さなくていいのにねぇ。「また発症しちゃったらそれは仕方ないから、そのときはすぐに病院来てね」とのことだ。はーーーい。(お利口さんの返事)

ネットで調べてみると、「原因などははっきりとは分かっておらず、生活習慣やストレスなどから来ると言われている」的なことが出てくる。まあ病気なんて大体そんなもんよね。生活習慣もストレスも生きてるだけでそれなりに思い当たるから、まあほどほどに気をつけるよ…って感じだ。

「水分こまめに摂るようにしてね」と言われた。なんか、水が関係しているらしい。あと、「運動してね」って。まぁ、常時運動不足だからね。うん。

…というわけで、まあ、そんなこんな、心を入れ替えた私(期間限定にならないことを祈る)は、昨日、有休を使って市内の森公園を散策しに行った。休み休み。前々から取ってあったのだよ。楽しい自主三連休だよ。

何度も行ったことある場所なのだけど、秋の風景だらけで非常に良かった。冷たい空気、遠くから聞こえる学校のチャイム。こういうところってすれ違った人みんなとこんにちはって挨拶するの面白いよね。こんにちは。

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写真たくさん載せた。携帯重い人ごめんね。データ大丈夫?Wi-Fi繋がってる?まだ月末じゃないからこれくらい平気だよね?



散策して楽しくなってしまったので、カメラを回しながらうきうきするなどしてみた。つい。(照)

浮かれている。ちなみに、この後、若干迷子になった。ポンコツ故なので仕方ない。迷子になったせいで、予定より帰りが遅れた。ちゃんとお家に着いた。ほっ。久しぶりにたくさん歩いた。

そういえば、歩きながら、「月日は百代の過客にして」(松尾芭蕉/奥の細道)とか、「山路を登りながらこう考えた」(夏目漱石/草枕)とか、そういうのが頭を巡って、昔覚えたなぁ懐かしいなぁという気持ちになった。人の世は住みにくいけど、ただ越せばいいってわけじゃないよねっていう指摘に、そうなんだよねぇと思うなどした。

あと、この日の朝、「ほんものは続く。続けるとほんものになる。」っていう言葉を読んだのを、都合良く思い出した。歩きながら、私、ほんものになりたいなぁって思った。何の?って感じだけど。別に本物でも偽物でもどっちでもいいんだけどね。ほんものになりたいなぁって思った。

家に着いてからは、風呂入って、ご飯食べて、譜読みなど。耳が治ったからね、バリバリやりますよ、のつもりだったのだけど、帰りが遅れたのと、無駄に体力使ったせいで(迷子の代償)、そこそこくらいしかできなかった。続きは明日やろうって思って寝た。他にもやろうと思ってた勉強があるんだけど、寝た。すでに筋肉痛。ちゃんとストレッチした。

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そして今日は朝から筋肉痛。でもお昼にレッスンの予定だったから、朝から譜読み。リード欲しい。

レッスン終わってからは、課題とは別の、なんとなくさらいたくなったものをさらった。耳が治ったからね、えっへん。

 

で、この後疲れてぐだぐだして過ごした。運動不足と迷子の代償が重なって、なかなかの筋肉痛になってしまって動くのが面倒なのだ。この日記の初めに元気もりもりって書いたけど、嘘です。筋肉痛でバキバキです。明日にはマシになってるといいけど。明日は何しようかなぁ。たぶんまずは家事だなぁ。

終わり。

 

 

 

 

👂memo👂

(せっかくなので、自分のために症状のメモを残しておくことにした。適当にスルーしてね。)

1日目:
発症。朝起きた時に耳がおかしいことに気付く。両耳どちらもおかしい。ぼやーとする。症状は耳閉感のみで、音は聞こえるし、目眩などはなし。

2日目:
昨日から様子見しているが治らない。

3日目:
治らないので仕事終わりに耳鼻科へ。職場のちょっとした雑音がうるさくて仕方ない。聴力検査では左の低音の聴力が若干落ちていた。耳の栄養剤、ビタミン剤、水分調整の漢方を処方される。4〜5日後あたりにもう一度来るように言われる。

4、5日目:
相変わらずぼやーとしている。余計な音が聞こえる。職場疲れる。朝起きた時が一番ぼやけていて、夕方以降・帰宅後が一番落ち着いているような気がする。

6日目:
若干マシになったような気がする。でも、当番が出なくて代わりに取った電話、相手の名前など聞き取りづらかった。誰宛か分からず何回も聞き直してしまった。

7日目:
昨日より酷い。前日ちょっとマシになったような気がしたのは何だったのか。聞こえづらい。音に疲れる。音のないところに行きたい。週の終わりで疲れがあったからかもしれない。これはあかんやつ。通院日だったので、仕事終わりに病院へ。聴力検査でもかなり悪化していたためステロイド処方。夜から飲み始める。

8日目:
休日。昨日よりは良いけど、特に大きな変化はなし。

9日目:
回復の兆しあり。だいぶマシになった。ちゃんと聞こえる。薬が効いている。休日だったのも良かったのかもしれない。耳を使う作業を30分くらいやったが、耳の疲労感はあり。

10日目:
だいぶ復活したような気がする。

11日目:
通院日。仕事終わりに病院へ。聴力検査でもかなり回復していた。薬も減らしていくことに。2.5日分のステロイド(2錠ずつだったのが1錠ずつになった)と7日分の栄養剤・ビタミン剤・漢方が処方された。これを飲み終わって問題なさそうならもう来なくても大丈夫とのこと。「楽器やってるの?大事な耳じゃない。ちゃんと回復して良かったね」と言ってもらった。良い先生。

12日目:
調子良い。念のためお休みしていた楽器のリハビリを始める。

13日目:
ステロイド終了。他の薬はまだあるけど、調子も良いし、とりあえず回復。軽度で済んだ。ほっ。